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それぞれの時間に

「写真によって、世界は何ら関連のない、一つ一つが自立している素粒子の集まりとなった。歴史、過去、現在は些細な出来事や逸話の集合となった。カメラは現実を細分化し、扱いやすく、不分明にする。それは相互作用や連続性を否定し、代わりに それぞれの時間に神秘性を授ける 」(スーザン・ソンタグ 『写真論』)

現像に出したままでいた写真を取りに行く。数か月分の記憶を辿る。

「写真は記憶の道具ではなく記憶の発明であり、もしくはその代用である、というプルーストの解釈は少しく誤解である」

「写真は単なるイメージ(絵がイメージであるような)ではなく、現実の解釈である。それはまた足跡やデス・マスクのように、しばしば現実から直接に何かを刷り出したようなトレースでもある」

「写真は過去の遺物であり、出来事の痕跡である。現在の生活が過去を引きずり、過去が自分の歴史を創る過程で欠かせない要素ならば、すべての写真は生の文脈を必要とし、瞬間に凍りつくことなく、時間の内に存在し続けるだろう。」(ジョン・バージャー)

「世界のあらゆるものは本になるために存在する。今日、あらゆるものは写真になるために存在している」(マラルメ)

それぞれの言葉に、頷くこともできるし、腕組みすることも、首をかしげることも、首を横にふることもできる。

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